一つの時代
昨年末、96歳の義祖父との別れがあり、その人生に思いを巡らせていた。
第一印象は、日本昔話に出てくるような優しいおじいちゃん。おばあちゃんも同じだった。お正月には必ず村の集まりに出かけていくような、人とのつながりを重んじる小さな村の人だった。
戦時中満州にいたという実祖父母との共通点もあり、ほとんど記憶にないほど早くに亡くなった祖父に代わって、本当の祖父のように慕っていた。
80代後半「戦争体験を語る」という講演を依頼された頃から、少しずつそういう話をされるようになった。
同じ村の若者たちは、必死で勉強して兵隊になった。夜はロウソクの灯りで必死に勉強した。体力もあり頭のいい若者は飛行機乗りになった。でも飛行機乗りになった者は皆帰らぬ人となった。戦後は上官がB級戦犯とされた。南の方から帰ってきた人からは、人を食べたと聞いた。
語られる言葉は事実のみ。そこに自分の価値観や解釈を挟まれることはなかった。皆、生きるために必死だったのだと感じた。生きるも死ぬも紙一重だったのかもしれない。
ちょうどその頃「永遠の0」を読んでいた。こういう話を直接経験した人から聞けるのはもう残りわずかな機会かもしれないと思った。
昨年、一緒に過ごす最期の時となったお盆。
おじいちゃんの家を出発した翌日、ミヤマクワガタがおじいちゃんのお茶碗に飛んできた。クワガタが来たよと電話をもらって、もう一度引き返した。あれは、神様のお導きだったのかもしれないと思う。
一つの時代を生きた人の歴史。伝えたかったこと、言葉にならなかった思いも大切にしたいと思う。
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